ある非技術系の大企業のオペレーション部門長が、AIエージェント「Claude Cowork」を全社導入した。ツールの性能は申し分ない。それでもチームの仕事量は、導入前とまったく変わらなかったという。エンタープライズ企業のAI実装を専業とする米企業のCEOが、この現象の構造を分析している。配ることと、効かせることは別の仕事だ、というのがその見立てだ。中小企業がAI導入で同じ轍を踏まないために、その構造を見ておきたい。
何が起きているか
米国でエンタープライズ向けにAIエージェントの実装を手がけるVarick AgentsのCEOを務めるvasuman氏が、2026年8月、自社のX(旧Twitter)アカウントに投稿した分析が実務者の間で話題になった。同社は財務・調達・営業オペレーションなどの業務にAIエージェントを組み込む仕事を、年商5億ドル超の大企業を中心に請け負っている。
vasuman氏によれば、AIツールを組織に配ったときの反応は、企業規模を問わずほぼ同じパターンを描くという。5〜10%が「パワーユーザー」となり、スキルファイルや外部連携まで使いこなす。次の20%は1日数回、粗い使い方で触る程度。残る70%はまったく使わない。「導入率」のダッシュボードは高い数字を示すが、現場の責任者からすれば何も速くなっていない——冒頭のオペレーション部門長のエピソードは、この構造をそのまま体現している。
同氏はさらに、別のエンタープライズ顧客の例として、AIツールに年間8桁ドル規模のライセンス予算を投じた企業でも、利用者の上位1割がトークン消費量の9割を占めていたという観測を紹介している(あくまで同社が関わった個別企業の観測であり、業界全体の一般値ではない)。仮に残り9割が上位1割と同じ密度で使えば、コストは単純計算で10倍に膨らむ計算になる。
この構造は、公表されている調査データとも符合する。McKinseyが2025年11月に公表した「State of AI in 2025」調査では、回答企業の88%が「少なくとも1つの業務機能でAIを定常的に利用している」と答えた一方、企業レベルでEBITへの5%超の効果を報告できたのは6%にとどまった(McKinsey, “The State of AI in 2025: Agents, innovation, and transformation”、2025年11月5日公開)。MIT発の調査機関NANDAが2025年7月に公表した報告書も、企業が導入したカスタムAIパイロットの95%が測定可能な事業成果を出せていないと結論づけている(The Register, “Generative AI does nothing for 95 percent of companies”、2025年8月18日公開。原典はMIT NANDA「The GenAI Divide: State of AI in Business 2025」2025年7月公表)。「導入している」と「効いている」の間には、複数の独立した調査が同じ形の溝を報告している。
背景と構造
なぜ同じツールを配っても、これほど極端な差がつくのか。vasuman氏の説明で核心を突いているのは、「AIを使うことと、AIをうまく使うことは、別のスキルだ」という一節だ。
ツールを立ち上げて雑なプロンプトを打ち込み、それらしい出力を得ることは、誰にでもできる。だが実務で価値を出すには、いつコンテキストをクリアすべきか、2回繰り返した作業をスキルファイル(AIに毎回読ませる手順書)として固定すべきかどうか、自動化案件のうちどの15%だけがAIの判断を必要とし残り85%は決定的なコード処理で足りるのか、そして何より、AIが出した差分を提出前にきちんと読めているか——こうした判断の積み重ねが要る。vasuman氏は、同じチケットを2人のエンジニアに渡した例を挙げる。1人はJiraのチケット文をそのままAIに貼ってサブミットし、6ファイルにまたがる変更をざっと確認しただけでマージする。もう1人は触ってよい範囲を先に指定し、AIの出力を最小限に保つルールを備えたうえで差分を精読し、無関係な変更を削ってから半分の分量でマージする。同じツール、同じ役職での結果の違いだ。
この差が埋まらない理由には、組織側のインセンティブも絡む。パワーユーザーは業務を70%速くこなせるようになった時点で、その優位性を手放す動機がない。「AIの使い方研修」を全社に配るだけでは、この一部の人材だけが得をする構造は変わらない。vasuman氏は「プロンプトの教え方は、この課題の1割にすぎない。残り9割は、どの業務にAIを触らせるべきで、どの業務は完全自動化すべきかを見極める仕事だ」と述べ、その見極めには現場に数週間張り付く必要があると指摘する。この見極めの部分こそが、業種や部署によって答えが変わるため、既製のツール研修では代替できない。
日本の中小企業にとっての意味
この構造は、日本の中小企業にとってむしろ好都合な面がある。大企業のような数千人規模の「バーベル型格差」は、数十人規模の組織では起きにくい。全員に目が届く規模だからこそ、一部のパワーユーザーだけが得をする状態を放置せずに済む。
ただし、対策の方向性は米国の事例からそのまま学べる。1つは、研修を「診断」として使うことだ。誰が興味を持ち、誰が向いているかは、やらせてみるまで分からない。プロンプトの打ち方を一律に教えるだけでなく、実際の業務でAIを使わせて反応を観察する機会自体に価値がある。この「使う力の差は繰り返しの回数で生まれる」という構造は、以前の記事(AIを使いこなす差は、「壁打ちの回数」で決まる)でも書いた通りだ。
もう1つは、AIを「人に配る」のではなく「業務に埋め込む」方向で考えることだ。vasuman氏は、請求書処理のような反復業務は、担当者にプロンプトを打たせるのではなく、日々自動で動くエージェントを業務システムの中に作り込み、担当者は承認・修正だけを行う体制にすべきだと提案している。これはAreeenaがFDE(現場に入り込んで実装するAI技術者)の型で一貫して行っていることでもある。ツールを配って終わりにするか、業務フローの中に組み込むところまでやりきるか——この分岐点で、導入の効果は大きく変わる。実際、PoCが本番導入まで進まない多くのケースも、この「作る人」と「使わせる人」の分断が原因になっている(AI導入の95%はなぜPoCで止まるのか)。
最初の一歩
自社のAI活用状況を「導入したかどうか」だけで見ていないだろうか。まずは一部署・一業務に絞り、誰が実際にどれだけ使えているかを観察するところから始めたい。全社に一律の研修を配る前に、現場の反応そのものを診断材料にする方が、次に打つ手が具体的になる。
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参考記事
- vasuman(Varick Agents CEO)「AI Adoption is a Myth」X投稿、2026年8月9日、https://x.com/vasuman/status/2085806422072418632
- McKinsey & Company「The State of AI in 2025: Agents, innovation, and transformation」2025年11月5日公開、https://www.mckinsey.com/capabilities/quantumblack/our-insights/the-state-of-ai-how-organizations-are-rewiring-to-capture-value
- The Register「Generative AI does nothing for 95 percent of companies」2025年8月18日公開、https://www.theregister.com/software/2025/08/18/generative-ai-does-nothing-for-95-percent-of-companies/1118115(原典:MIT NANDA「The GenAI Divide: State of AI in Business 2025」2025年7月公表)



