AI経営 2026.08.24 公開 ・ 読了 4分

言葉にしにくい判断ほど、先にAIへ渡す価値がある

「皆さんがメジャーリーガーのように見えて、自分の小さなビジネスの相談をするのが申し訳ない」

打ち合わせ中に、ある経営者がぽつりとそう漏らした。コロナ融資の返済がまもなく始まる。そのタイミングで月々の固定費が増えることに、正直かなりの負担を感じている——そう打ち明けたすぐ後のことだった。

謙遜と不安が入り混じったこの一言よりも、その日いちばん価値があったのは、少し後に出てきた別の一言だった。

「単純に量を倍にすればいいわけではないんです」

「分かりやすい正解」を、その経営者は拒んだ

ケータリング事業を行っているこの会社は、企業の懇親会やイベント向けに、一人あたりの予算に応じてメニューを組み立てる。他社の多くは「30人前が3,300円なら、60人前は単純に2倍」というプランで済ませている。人数に応じて各メニューの量を比例させて増やす。管理もしやすいし、システム化も簡単だ。

だが、単純に量を倍にすると、デザートや特定の料理だけが過剰になり、料理全体のバランスが崩れる。品数と量のバランス、余る料理と足りない料理の調整——この経営者は、それを自分の「頭の中の感覚」で長年やってきた。総額いくらという予算をもらい、そこから消費税や人件費、ドリンク代を引いた残りで、何をどれだけ揃えるかを組み立てる。社内から「単純に倍でいいのでは」という声が出ても、それは「会社側・システム側の幸せ」であって「お客様にとっての不幸」だ、と言い切っていた。

「複雑だからAI化できない」ではなく、「複雑だからこそAI化する価値がある」

多くの会社は、業務をAI化する際にまず「単純な部分」から手をつける。判断の分岐が少なく、ルール化しやすい仕事のほうが、システムに落とし込みやすいからだ。これは間違ってはいない。

だが、それだけでは終わらない。単純化できる仕事は、他社も同じように単純化できる。差別化にはならない。むしろ競合が「タブレット1枚で済む」ような効率化を進めるほど、単純化できない部分——この経営者が守ってきた「さじ加減」——の価値は相対的に上がっていく。**いちばん言葉にしにくい判断ほど、実は複製する価値が高い。**答えが誰でも出せるようになった時代に、価値は「誰にも真似できない基準」の側に残るからだ。

この発想の延長線上に、この経営者が見据えていた最終形がある。自分の考え方や過去の回答をAIに学習させ、スタッフが迷ったときに質問すれば、自分ならこう答えるという返答が返ってくる体制——いわば「社長AI」だ。これはAIが経営者の代わりをすることではない。会社の中に判断できる「もう一人の自分」を増やす発想であり、別の記事でも書いた「属人化は能力不足の証拠ではない」という話と、根っこは同じである。

だからこそ、いきなり「社長AI」から作らない

ただし、この経営者との打ち合わせで実際に優先したのは、社長AIそのものではない。まず着手したのは、メニューと原価を自動算出する仕組みという、もう一段手前の課題だった。理由は単純で、社長AIを機能させるには判断の記録というデータが積み上がっている必要があり、今はまだその手前だからだ。

進め方も、詳細な要件定義書を先に固めるのではなく、動くプロトタイプを1.5ヶ月ほどで作り、実際に触りながら仕様を詰めるPoC(概念実証)を選んだ。以前の記事で書いた通り、AI導入の多くはPoCで止まって終わる。だがこの経営者のケースで大事だったのは、PoCを「小さく作って終わり」にしないための、もう一つの工夫だった。契約期間の長さだ。

社長AIを機能させるまでには多くのデータの蓄積が必要だ。一朝一夕でできる話ではなく、長期的に伴走しデータをそろえていく必要がある。そのため、できるだけ長く伴走できるよう、限られた予算の中で総額は変えずに契約期間を延ばして月々の負担を抑える、定例の打ち合わせ頻度を減らしてテキスト連絡に置き換える、といった調整を打ち合わせのその場で組み直した。AI化においては、支援側の業務、スキルよりも、AI化する会社の経営者、社員さんに長期的な協力をいただくことが重要であり、伴走期間を延ばして長期的にお付き合いすることが必須だ。

前提と反証

すべての「言葉にしにくい判断」が、複製に値するわけではない。判断の記録がほとんど残っていない会社では、AIに学習させる材料自体が乏しく、最初の一歩に時間がかかる。また、単純化によって顧客体験が劣化しない業務であれば、素直に単純化したほうが早い。守るべき複雑さかどうかを見極めずに、なんでも「うちのこだわりだから」とAI化を避けるのは、ただの機会損失になる。

現場に何十社と入ってきて感じるのは、うまくいく会社ほど、自分の「感覚」を特別視しすぎず、かといって安売りもしないという、絶妙な線引きを持っている点だ。この経営者が守っていたのは、まさにその感覚だった。

営業の側面でも、地味だが確実な一手が見えていた。都内の士業団体や医師会など、法人格を持つ組織へ紙のダイレクトメールを数百件送ったところ、通常のDMでは考えにくい水準の問い合わせが戻ってきたという。手元に残る紙資料を、担当者が回覧・保管する。顧客の社内決裁フローを細やかに想像したこの地味な営業の型もまた、誰にも真似されにくい「言葉にしにくいノウハウ」の一つだった。

来週、録音を1本だけ残してみる

大がかりなデータ整備は要らない。来週、判断に迷った商談や打ち合わせを1本録音し、「なぜその場でその判断をしたか」をAIに書き起こしてもらうところから始めればいい。それだけで、複製の材料が1つ増える。

あなたの会社で、いちばん言葉にしにくい判断は何だろうか。自社の現在地を確かめるところから始めたい方は、無料のAI活用診断をどうぞ。

A
坂田 裕希株式会社Areeena 代表取締役

広島出身。東京大学法学部卒。三菱商事を経て、2015年にD2Cブランド HANDEN を立ち上げAmazonカテゴリ1位を獲得、2021年に事業譲渡。2022年に株式会社Areeenaを設立し、2023年より生成AI事業を開始。日本FDE協会を立ち上げ、中小企業の現場でFDEとしてAI実装に伴走している。

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