AI経営 2026.07.30 公開 ・ 読了 4分

「社長がいなくても回る会社」は、社長を消すことではない

「私がいなくなったら、この会社は止まります」

ある地方の資材商社を訪ねたときのことだ。二代目の社長が、ぽつりとそう漏らした。受注の可否も、値引きの線引きも、クレーム対応の最終判断も、結局は社長の携帯に電話がかかってくる。社員は優秀で、真面目に働いている。それでも判断の最後の一段だけは、いつも社長のところで止まる。

「仕組み化が甘いんです、うちは」。申し訳なさそうに、社長はそう続けた。

「自分がいないと回らない」は、能力不足ではない

多くの経営者は、この状態を自分の管理不足のように語る。「属人化させてしまっている」「仕組みが甘い」。だが、それは経営者の能力不足の証拠ではない。むしろ、良い経営者ほど、頭の中に精緻な判断基準を持っている証拠でもある。問題は、その基準が本人の中にしかなく、取り出して人に渡す方法がなかっただけだ。

通念への反論——マニュアル化では、基準までは渡らない

世間の正論はこうだ。「マニュアルを整備し、仕組み化すれば属人化は解消する」。半分は正しい。だが、マニュアルに書けるのは手順止まりだ。「この客には、ここまでの値引き」「この言い回しなら角が立たない」といった、状況ごとの機微や勘所までは、紙のマニュアルには落ちない。だからこそ多くの会社では、立派なマニュアルを作った後も、結局「最後は社長に確認」という運用に戻ってしまう。

AIに任せるべき仕事は、経営者を消すことではない。経営者の判断基準を複製し、現場のあらゆる場面に立ち会わせることだ。 言い換えれば、AIは経営者の代役ではなく、会社のなかに「もう一人の自分」を増やしていく装置である。

判断基準は、なぜ言語化されずに埋もれるか

経営者の勘や基準は、本人にとっては当たり前すぎて、わざわざ言葉にする動機が働かない。忙しい経営者ほど「聞かれたら、その場で答える」以上のことをしない。結果として、基準は本人の頭の中だけに蓄積され、退職や引退とともに失われるリスクを抱えたまま放置される。

判断基準を仕組みにした、ある実例

この発想を、AI以前から徹底してきた経営者がいる。米国のヘッジファンド、ブリッジウォーター・アソシエイツの創業者レイ・ダリオだ。ダリオは2017年9月、自身が積み上げてきた意思決定の原則を1冊にまとめた著書『Principles: Life and Work』を出版した。

ダリオはそれだけで終わらせなかった。社内向けに「Dot Collector」というアプリを開発し、会議中の発言をリアルタイムに記録・評価する仕組みを作った。若手社員であっても、この仕組みを通じて自分の発言や判断を、会社の基準に照らして確認できる。2021年にはZoom会議向けの機能も追加され、リモートの現場でも同じ基準で意思決定できるよう拡張されている。

ダリオがやったのは、自分の頭の中にしかなかった判断基準を書き出し、それを組織全体に複製する仕組みを先に作ったということだ。

中小企業でも、同じことが可能になった理由

かつてこの仕組みを作るには、専属の開発チームとデータサイエンティストが必要だった。ブリッジウォーターだからこそできた話だ、と片づけたくなる。

だが生成AIの登場で、状況は変わった。会議の音声やチャットのログをAIに読み込ませ、「この場面なら、社長ならこう判断する」という基準を抽出・蓄積させることが、専属チームなしでも可能になっている。基盤が整っていなかった中小企業ほど、大きなシステムを飛び越えていきなりここに手をつけられる。

現場でやることは、驚くほど地味だ

実際に、ある地方の卸売会社で試みているのは、次のような取り組みだ。まず、経営者が新人に対して行っている「攻めのほうれんそう」——問題が起きる前に先回りして報告する、判断に迷う段階でひとまずプロトタイプを見せる、というコミュニケーションの型を言語化する。次に、実際の商談メモや会議の記録をAIに読み込ませ、「こういう状況では、こう報告し、こう動く」という型をテンプレートとして蓄積させる。

新人は、社長に聞かなくても、まずこのテンプレートに沿って初動を切れるようになる。もちろんこれで全ての判断が代替されるわけではない。だが、判断の最後の一段に社長を呼ぶ回数は、着実に減っていく。

前提と反証

正直に書いておくと、すべての判断をAIに渡せるわけではない。最終的な責任や、前例のない例外への対応は、これからも人間に残る。また、この仕組みづくりには、経営者自身が「なぜ自分はその判断をしたのか」を言葉にする、地味で骨の折れる対話が必要になる。過去の商談記録や議事録がほとんど残っていない会社では、基準を抽出する材料が乏しく、最初の一歩に時間がかかる。

現場に何十社と入ってきて感じるのは、うまくいく会社ほど、経営者が自分の勘を「特別なもの」として抱え込まず、早い段階で言葉にすることに前向きだという点だ。

判断基準の複製は、鍛錬に似ている

一度きりの言語化で完成するものではない。基準を書き出し、AIに読ませ、現場で使ってみて、ずれを直す。この反復を続けられるかどうかが、結局はものを言う。

来週、1回分の会議か商談を録音し、AIに「もし社長ならここでどう判断したか」を書き出させてみてほしい。それだけで、複製の最初の1枚ができる。

あなたの会社では、判断基準がどこまで言葉にできているだろうか。自社の現在地を確かめるところから始めたい方は、無料のAI活用診断をどうぞ。

A
坂田 裕希株式会社Areeena 代表取締役

広島出身。東京大学法学部卒。三菱商事を経て、2015年にD2Cブランド HANDEN を立ち上げAmazonカテゴリ1位を獲得、2021年に事業譲渡。2022年に株式会社Areeenaを設立し、2023年より生成AI事業を開始。日本FDE協会を立ち上げ、中小企業の現場でFDEとしてAI実装に伴走している。

経営者・役員の方へ
「何から跳ぶか」を一緒に決めませんか

AI事業部まるごとパッケージ。まずは自社の現在地を知る無料診断から。

無料AI診断を受ける →
FOR INDIVIDUALS ― 個人の方へ
AI勉強会(毎週・無料)

最新AIニュースをビジネス視点で読み解く週1時間。まずは覗いてみてください。

勉強会の詳細を見る →