FDE 2026.08.07 公開 ・ 読了 4分

「一番の得意技」ほど、先に手放したほうがいい

2021年、自分たちで育てたD2Cブランドを、事業譲渡という形で手放した。2015年に立ち上げ、Amazonのカテゴリで一位を獲るところまで育てたブランドだった。契約書にサインをした瞬間に来たのは、清々しさより先に、奇妙な喪失感だった。自分の名刺代わりだった肩書きが、その日から静かに剥がれていく感覚があった。

一度築いた勝ちパターンを手放すことに、抵抗や罪悪感を覚えるのは、当然の感情だ。それは弱さでも、覚悟が足りないからでもない。時間をかけて積み上げたものほど、自分が何者であるかという感覚そのものと分かちがたく結びついてしまうからだ。

世間の正論はこうだ。「一つのことをやり抜け」「せっかく積み上げた強みを手放すのはもったいない」。この教えは、半分は正しい。専門性や実績を積み上げること自体は、間違いなく価値を生む。だが、この教えには一つ、大事な問いが抜け落ちている。それを、いつ手放すか、という問いだ。

武器を育てられる才能と、武器を手放せる才能は、別物だ。 そして次のレースで前に出るのは、後者を持っている人のほうだ。

なぜ人は、うまくいったやり方ほど手放せないのか

行動経済学でいうサンクコスト効果——すでに注ぎ込んだ時間や労力が惜しくて、非合理と分かっていても同じやり方に固執してしまう傾向——は、ここでも働く。だがそれ以上に効いているのは、成功体験がアイデンティティ化するという現象だ。あるやり方で結果を出し続けると、そのやり方は単なる手段ではなく、「自分はこういう人間だ」という自己認識そのものになっていく。だから、そのやり方を否定されることは、自分自身を否定されることと区別がつかなくなる。合理的な判断を鈍らせているのは、能力の欠如ではなく、この一体化だ。

この構造がもっとも劇的に表れた例が、写真フィルム業界に残っている。コダックの技術者スティーブン・サッソン氏は、1975年に世界初のデジタルカメラを発明した。だが同社はフィルム事業の大きすぎる成功を守るため、その商業化を先送りにし続けた。結果としてデジタル化の波に乗り遅れ、2012年1月19日、米ニューヨーク州の裁判所に連邦破産法11条(チャプター11)の適用を申請した(CNN Money)。

同じ危機に直面しながら、正反対の道を選んだのが富士フイルムだ。2000年に社長に就任した古森重隆氏のもとで、主力だった写真フィルム事業は、デジタル化の進行によりわずか数年で赤字に転落した。同社はそこで、フィルム開発で培ったコラーゲン研究やナノテクノロジーを転用し、2007年9月にエイジングケア化粧品ブランド「アスタリフト」を発売する(富士フイルム公式サイト、日本経済新聞)。両社が持っていた技術的な土台は、実はそれほど違わない。分かれ道になったのは、「フィルムを売る」という勝ちパターンそのものを、どちらが先に手放せたかだった。

現場で見る、同じ構造の縮小版

規模はまったく違うが、同じ構造は中小企業の現場でも繰り返し見る。ある地方の老舗印刷会社では、長年付き合いのある大口顧客への御用聞き営業だけで受注の大半が回っていた。担当者の頭の中には、その顧客が「何も言わなくても察してほしい」と思っているであろう細部まで入っていて、それ自体は誇るべき職人技だった。ただ、その技があまりに磨かれていたせいで、新しい顧客層への提案や、AIを使った見積もり業務の効率化といった新しい打ち手に、社内の誰も手を伸ばそうとしなかった。うまくいっているやり方があると、人はそこに立ち止まる理由をいくらでも見つけてしまう。

現場に入って何十社と業務を見てきて感じるのは、AI導入が進まない一番の壁は、技術でも予算でもないということだ。多くの場合、壁になっているのは、経営者自身が過去のやり方に対して静かに抱いているプライドだった。

前提と反証

念のため書いておくと、すべての武器を手放せばいいという話ではない。富士フイルムも、フィルムで培った技術という核までは手放さなかった。むしろその核を残したまま、それを売る「市場」だけを乗り換えた。何を残し、何を手放すかを分けて考えられるかどうかが、実際には一番難しい部分だ。惰性で古いやり方を全部捨てるのも、意地で全部抱え続けるのも、どちらも思考停止という点では同じだ。

種目を変える選手

陸上の短距離選手が、年齢とともに走り方を変え、コーチ業や別の種目に転向するように、勝ち方は競技人生の中で何度か作り直すものだ。同じフォームにしがみついた選手から、記録は先に止まる。

今の得意技のうち一つだけ、来月試しに使わない期間を作ってみてほしい。得意な営業トークを一回封印して別のやり方で商談してみる、使い慣れた資料フォーマットをあえて崩してAIに新しく作らせてみる。それくらい小さな範囲でいい。何が抜けても困らなかったかを見れば、自分が本当に依存している武器がどれかが分かる。

あなたが一番誇りに思っている武器は何だろうか。それを手放す練習をするとしたら、何から始められるだろうか。実装する側に回って、自分の武器を作り替え続けられる人材になりたい方は、FDE養成講座やAI朝活のような学びの場を覗いてみてほしい。

A
坂田 裕希株式会社Areeena 代表取締役

広島出身。東京大学法学部卒。三菱商事を経て、2015年にD2Cブランド HANDEN を立ち上げAmazonカテゴリ1位を獲得、2021年に事業譲渡。2022年に株式会社Areeenaを設立し、2023年より生成AI事業を開始。日本FDE協会を立ち上げ、中小企業の現場でFDEとしてAI実装に伴走している。

個人・フリーランスの方へ
「実装する側」に回るという選択肢

まずは毎週1時間の無料AI勉強会から。最新AIニュースをビジネス視点で読み解きます。

無料のAI勉強会に参加する →
FOR EXECUTIVES ― 経営者の方へ
AI事業部まるごとパッケージ

採用も教育も不要。現場に入ってAI活用を立ち上げます。

無料AI診断を受ける →