「うちは、まだ発注も在庫も紙とExcelで回してましてね。DXなんて、とても」
地方の中小企業を訪ねると、経営者は決まってこう前置きする。声のトーンには、少し申し訳なさそうな響きがある。大企業のようにシステムが整っていない自社を、遅れている側だと思い込んでいる。
だが、机の上に広げられた手書きの発注控えや、担当者しか読めない略号だらけのExcelを見るたびに、私はむしろ逆のことを考える。ここには、大企業には無いものがある。捨てる仕組みが、そもそも無いのだ。
「遅れている」は、負い目ではない
DXが進んでいない会社ほど、周回遅れだと思われがちだ。世間の正論はこうだ。「まず基幹システムを入れ、業務を標準化し、データを整えてから、ようやくAIの出番が来る」。順序として、筋は通っている。
しかし、その正論を律儀に守った会社ほど、身動きが取れなくなっているのを何十社と見てきた。大きなシステムに投資した分、それを守ろうとする力が働く。改修には稟議が要り、ベンダーとの契約が絡み、「せっかく入れたのだから」という執着が、次の一歩を重くする。
守るべき仕組みを持たない会社は、身軽なままAIに飛び移れる。 これがリープフロッグ(蛙飛び)現象であり、DXの遅れは、AIの時代においては助走のいらない身軽さに変わる。
リープフロッグ現象とは何か
リープフロッグとは、旧世代のインフラを飛び越えて、いきなり新世代の技術に移行する現象を指す。整備段階を一段ずつ踏むのではなく、途中の段階ごと飛び越えてしまう。
もっとも知られた例が、ケニアの携帯送金サービスM-PESAだ。ケニアは銀行支店網やATM網が乏しく、多くの国民が口座を持てなかった。そこに通信会社Safaricomが2007年3月6日、携帯電話のSMSだけで送金・預金・引き出しができるM-PESAを開始した(Safaricom公式のM-PESA沿革ページ)。銀行支店を全国に作るという重い前段階を、まるごと飛び越えたわけだ。
中国のモバイル決済も同じ構造で説明できる。クレジットカードが家庭に十分に普及する前に、アリババの決済サービスAlipayと、テンセントのWeChat Payが台頭し、QRコード決済が一気に生活の標準になった。カード網という「整った中間インフラ」が薄かったからこそ、その先へ一足飛びに進めた。
条件を整理すると、リープフロッグが起きるのは、①旧インフラへの投資・既得権が乏しく、②新技術を使うための最低限の土台(携帯電話網、スマートフォン)は存在し、③旧インフラを守る側の抵抗が働かない場合だ。逆に、法規制で旧来の手続きが義務づけられている領域や、最低限の土台すら無い場合は、飛び越えは起きない。ここは正直に、限界として押さえておく必要がある。
なぜ「整っていない」ことが武器になるのか
大企業がAIを導入するとき、最初にぶつかるのは技術の壁ではない。既存システムとの整合性、部門ごとの権限、過去に導入した基幹システムの減価償却期間といった、守るべき仕組みの壁だ。仕組みが大きく複雑であるほど、変更のコストは跳ね上がる。
一方、紙とExcelで業務を回している中小企業には、そもそも「守るべき大きな仕組み」が存在しない。標準化されたクラウドSaaSを一段ずつ導入していく中間ステップを飛ばし、紙の帳票や生のExcelデータを、そのままAIに読ませて業務を動かすところへ直接進める。整っていないことは、身軽であることの裏返しだ。
現場では、何が起きるか
たとえば受発注業務。多くの会社がまず考えるのは、受発注システムを導入し、フォーマットを統一し、それからAIで自動化する、という順番だ。だが実際には、FAXで届く発注書の画像をAIに読ませ、品目と数量を拾わせるところから、いきなり始められる。フォーマットが統一されていなくても、AIは表記のゆれをある程度は吸収する。整えるのが先、ではなく、動かしながら整える方が早い場合が多い。
問い合わせ対応も同様だ。マニュアルが体系化されていない会社ほど、担当者の頭の中にある応対の勘所を、AIとの対話を通じて言語化し、そのまま一次対応の下書きに使えるようにできる。マニュアルを先に完成させる必要はない。
前提と反証
誤解のないよう書いておくと、リープフロッグは「何もしなくていい」という話ではない。最低限、誰かが業務のどこにAIを当てるかを見極め、出てきた結果を確認する役目を担う必要がある。また、監査証跡が法令で厳密に求められる業務や、そもそもデジタルデータが一切存在しない業務では、飛び越え自体が成立しない。リープフロッグは万能の近道ではなく、条件が揃ったところでだけ効く現象だ。
現場に入って何十社と業務を見てきて、システムが整っていない会社ほど、AIに対する抵抗が少ない、という実感がある。守るべき仕組みが無いぶん、失うものへの恐れも小さいのだろう。
助走の長い選手が、助走ゆえに減速せざるを得ない場面がある。助走の無い選手は、その場から思い切り踏み出せる。
自社が「遅れている」と感じているなら、それは負い目ではなく、身軽さの証かもしれない。まずは一つの業務だけでいい。受発注の集計か、問い合わせ対応か、どちらか一つを、来週AIで動かしてみてほしい。整えるのは、動かしてからでも遅くない。
守るべき仕組みが無いあなたの会社は、実はもう、飛び越えられる場所に立っているのではないか。
自社が今どの段階にいて、どこから飛び越えられるのかを確かめたい方は、無料のAI活用診断から始めてみてほしい。



